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リアリティ経験と自己-他者関係 [読書]

草柳千早「リアリティ経験と自己-他者関係」を読む。

副題が「ゴフマンとレインの『経験の政治学』への視角」だが、ほとんどレインは出てこない。基本的にゴフマンの『フレイム・アナリシス』に依拠しての議論。

要点

・社会的状況は、自己と他者がおこなうフレイミングによって構成されている。よってフレイムの違いによって各自は異なった「リアリティ」を経験している。

・しかしながらその状況がいかなる「リアリティ」として規定されるかは、その状況に参与しているメンバーの「リアリティ定義権」の偏在によって決まる。

たとえば彼がそれを「愛」だと考えていても、彼女はそれを「暴力」だと考えているかもしれない。そしてそれが愛なのか暴力なのかは、彼/彼女のディスコースがどのような社会的布置にあるかで決定する、と。

きっとここから考えなければいけないのは、いかにしてある特定のフレイムによる「リアリティ」が優先的に規定されるのかということなんだろう。ただ「その条件とは何か」という問い方をするとダメなのであって、エスノメソドロジーのようにそれがいかにして示されているのかに注目する必要があるということだろうか。

…しかし『フレイム・アナリシス』、誰か翻訳してくれないかな。

*草柳さんの本が出てた。↓なかなか面白そう。

「曖昧な生きづらさ」と社会―クレイム申し立ての社会学

「曖昧な生きづらさ」と社会―クレイム申し立ての社会学

  • 作者: 草柳 千早
  • 出版社/メーカー: 世界思想社
  • 発売日: 2004/08

 


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