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お買い物 [読書]

男子のための恋愛検定

男子のための恋愛検定

  • 作者: 伏見 憲明
次は、↓も買いたい。
さびしさの授業

さびしさの授業

  • 作者: 伏見 憲明
いつも思うけど、伏見さんや橋本治さんのような「大人」が、もっと世の中に増えればいいのになと思う。そしてもちろん自分がそういう「大人」たりえているかを、チェックしなければいけないけれど。
 

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ウンコについて+ [読書]

あまりの心身の疲労。で、鬱鬱鬱々。いくつかのブログを見ていて感じたことを書く気でいたが、何を言いたかったかも忘れた。。。

で(ってなにが「で」かわかりませんが)、古本屋で山形浩生さん訳の『ウンコな議論』を買ってしまった。「このタイトル名は山形さんが商売上つけたのだろう」と思っていたけれど、原題が『On Bullshits』なら致し方ありませんね。ちらっと見たけど意外に読みづらい(いちおう学術書だし)。でも、めちゃ薄だし、近いうちに感想書くかも。

ウンコな議論

ウンコな議論

  • 作者: ハリー・G・フランクファート

・どーでもよすぎることだけれど、IZAMと吉岡美穂の結婚話に「なんか、わかる、わかるぞ、この二人」と思ってしまった意味不明の私。

・電車内の雑誌広告の見出しに、「いま、出ていきます」というのがあって、不覚にも小さく笑ってしまった。

・それにしても夜は長すぎる。いろいろと考えちゃうじゃないか。クソ!


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共通テーマ:日記・雑感

『孤独の発明』 [読書]

ポール・オースター『孤独の発明』(新潮文庫版)。

別にオースターのファンだったということではない。ただエライ人というのは知っていた。で、古本屋で偶然見つけて読んだのがこの本。

この本は引用したくなったり、後で何度か読み返したくなる記述に満ちている。

たとえば、

この部屋に長時間とどまることによって、たいていの場合彼は室内を自分の思考で満たすことができる。そしてそれが荒涼さを霧散させてくれるように思う。少なくとも荒涼さを忘れさせてはくれる。出かけるたびに、彼は自分の思考を一緒に持っていく。彼の不在中、部屋は彼がそこに住もうとする努力を徐々に除去していく。帰ってきたときには、作業をまた一からやり直さねばならない。それは労力を要する仕事である。(中略)それまでの空白期間、すなわちドアを開けてから空虚さをふたたび征服しはじめるまでの無の時間、彼の心は言葉にならない恐怖にあえぐ。まるで自分自身が消滅するのを見せられているかのような思いがする。」(p124)

こちらが望んでいるもの、こちらが感じていることを、この人は察してくれるだろう――父にそういう信頼を置くことは不可能だった。こっちからそれを伝えねばならぬという事実が、もうすでに喜びを半減させてしまう。最初の一音が発せられる前から、夢想されたハーモニーはすでに破られている。それにまた、かりにこちらから伝えたとしても、理解してもらえる保障はどこにもなかった。」(p38)

矛盾というものの、奔放な、神秘的というほかない力。それぞれの事実が次の事実によって無化されることを私はいまや理解する。それぞれの想いが、それと同等の、反対の想いを生み出す。(中略)彼はいい人間だった。彼は悪い人間だった。彼はこれだった、彼はあれだった。どれも等しく本当なのだ。」(p105)

そして次が本書の結びの言葉。

それはあった。それは二度とないだろう。思い出せ。」(p285)

他にもたくさん引用したくなるが、今回はこれで。何年かぶりに読んだ小説だったけど、やはり巧みな言語表現は心の襞に触れることを再確認する。本書全体の感想はまたの機会にしよう。

孤独の発明

孤独の発明

  • 作者: ポール・オースター
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1996/03


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リアリティ経験と自己-他者関係 [読書]

草柳千早「リアリティ経験と自己-他者関係」を読む。

副題が「ゴフマンとレインの『経験の政治学』への視角」だが、ほとんどレインは出てこない。基本的にゴフマンの『フレイム・アナリシス』に依拠しての議論。

要点

・社会的状況は、自己と他者がおこなうフレイミングによって構成されている。よってフレイムの違いによって各自は異なった「リアリティ」を経験している。

・しかしながらその状況がいかなる「リアリティ」として規定されるかは、その状況に参与しているメンバーの「リアリティ定義権」の偏在によって決まる。

たとえば彼がそれを「愛」だと考えていても、彼女はそれを「暴力」だと考えているかもしれない。そしてそれが愛なのか暴力なのかは、彼/彼女のディスコースがどのような社会的布置にあるかで決定する、と。

きっとここから考えなければいけないのは、いかにしてある特定のフレイムによる「リアリティ」が優先的に規定されるのかということなんだろう。ただ「その条件とは何か」という問い方をするとダメなのであって、エスノメソドロジーのようにそれがいかにして示されているのかに注目する必要があるということだろうか。

…しかし『フレイム・アナリシス』、誰か翻訳してくれないかな。

*草柳さんの本が出てた。↓なかなか面白そう。

「曖昧な生きづらさ」と社会―クレイム申し立ての社会学

「曖昧な生きづらさ」と社会―クレイム申し立ての社会学

  • 作者: 草柳 千早
  • 出版社/メーカー: 世界思想社
  • 発売日: 2004/08

 


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