そして今年も8月1日がやってきた [雑感]
感傷的なことだけを書きに舞い戻ってきました。
ウザイです。ええ、わかってます。ごめんなさい。
というわけで、今年も8月1日がやってきた。
人生最大の「始まり」の日であり、祝福すべき日であり、感謝してもしたりない日。
でも、そうであるがゆえに
数年前からはふとそのことが頭をよぎっただけでも、胸が苦しくてたまらなくなる日。
今後どれほど楽しいことがあったとしても、どれほど悲しいことがあったとしても
この日なり、そのことは私の人生にとって決定的な影響を与え続けるだろう。
『時をかける少女』のように、「未来で待ってる」と過去に声をかけにいくこともできない。
そして、それはきれいごとでもある。感傷はナルシシズムが大好き。
人生は続く。永遠に繰り返されるクリシェ。「頑張らなきゃ」と声に出さずに自分に呟いては、「でも、なんのために?」と答えをだしたくなっては、「でも頑張らなきゃ」と呟くループ。「~のために」の「~」にいくらでも説得的な言葉を挿入できる。メシのため、しかり。これまで自分のやってきたことを無駄にしないため、しかり。家族のため、しかり。…しかし、でも、なんのために??
いつも、ということはなくなった。でも、時間的にも空間的にも遠ざかりながら、まったくあの時間や場所から動けなくなっていく自分を感じてもいる。数週間前に寝る直前、「ただ時間を元に戻して、またあの人の笑顔を私に差し向けてほしいだけなんだ、結局は」という考えが頭をよぎった瞬間、そのばかばかしい思いとそのばかばかしい思いに自分が込めている真剣さにどうしようもなく絶望して、なにもかもに耐えられなくてしばらく泣いていた。
とにかく頑張らなければいけない。理由は見つからないが。別にそれ以外にもありとあらゆることがどんどんと崩れ落ちていく感じがしているけれど、でも頑張らなければならない。疲れたと呟くこと自体にもずっと昔に疲れているが。無駄に生命力が強いのでどうにかなるだろう。楽しいこともこの数年間になかったわけじゃない。当たり前。そういうことに頑張って自分をのっけていくしかないんだ。後退だけができない以上は。なにもないような顔をして、忘れたふりして、頑張るしかない。そして気がついたら、どこかにはいるはず。新しく悩むとしても、同じことを。
来年の8月1日もきっと同じことを考えているはず。でも、きっと違う場所にはいる。来年までこのブログを続ける自信はなく、リセットする気だけどさ。
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